かざはりとは~名前の由来~


北秋田市阿仁吉田には、かつて風張城というお城がありました。今は建物などは全く残っていませんが、城のあった場所へ行くと地形や堀の跡などは見ることができ、城跡が偲ばれます。風張城址は、旧阿仁町時代に文化財に指定されており、かざはりファームの名前の由来はこの風張城から頂いています。

 

みなさまもご存じの通り、地方の山間部は少子高齢化・人口減少による後継者の不在など、営農継続は限界に近づいておりますが、ただ黙って衰退するをの待つのではなくこの流れに少しでも逆らえるような方法をと模索していくなかで生まれたのがこの農園なのです。

 

[かざはり]の名は、この地に根付いた人々の歴史であり、足跡であります。かつてここで暮らした人々が残したものを次の世代へと繋げて、この地区の営農活動が末永く続けていけるようにという農家の願いが込められています。

 


かざはり城とは??

北秋田市阿仁吉田は旧阿仁合地区の玄関口にあたり現在の国道105号線と内陸線の小渕駅の向かいに位置しており、今から400年近く前に松橋家の領主孫三郎季盛によって風張城として築城されたとあります。

 

この城は、比高4m、複郭状の平坦面四個から成り、前方の阿仁川を天然の外濠、北方には屏風状の岩場、また西方は苗代沢が天然の堀となり、その一帯は7町歩近い領地が広がり、その一角の高台に主郭があり眼下には田畑を見渡せる場所で難攻不落を誇る当地方屈指の名城と称されていたようです。

 

しかし、築城から60年後、竹馬の友であったはずの米内沢城主、嘉成資清が、暗夜に乗じて城の裏手に通じる間道を一夜にして作り上げ、(今もこの道路は走り坂といって残っています)背後から一挙に奇襲をうけ一夜にして落城したと言われております。

 

現在は風張城跡地として集落の人たちによって整備されております。

 

   「阿仁町の民話伝承」第2集 (昭和48年3月 阿仁町教育委員会発行)より一部参考引用